この門はお寺の門として現在は使われていますが、この通りを武家門通りと呼んでいます。
名称の由来が群馬県のHPには次のようにありました。
同聚院の武家門は、伊勢崎風土記によると「今の寺邸は古昔の廓内にして寺門は即ち城門なり」とあることから、元は稲垣長茂の屋敷門であったと推定されています。
武家門は、一般寺院の山門とは構造が異なり、瓦葺きの切妻造りで、本柱四本に控柱四本を設け、本柱の位置が屋根の棟の線より前にずれている薬医門の形式をとっています。
このスケッチはお寺の境内側から描いたものです。
(F3 ミリペン 水彩)

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